スピリチュアルを宗教として捉えている人は多いのではないでしょうか?
「スピリチュアル教」
こういう言葉も実際出ている様です。
日本人は「無宗教」という人も多いですが、自分なりの信じるものがあればいいかと思います。
信仰の自由がありますので。
人生でキツイ時に自分の信じれるものがあると、心のバランスが保てて壁を乗り越えれるということもあります。
自分を支える源になることがあるので、スピリチュアルと宗教について理解してると良いのではと思います。
スピリチュアルが宗教と同じと捉えれる理由
スピリチュアルが宗教とは違う理由
とそれぞれまとめていこうと思います。
スピリチュアルとは?
概要
スピリチュアルという言葉自体は浸透していますが、一人一人発言が違ったり明確に仕切りがないように思えます。
そもそもスピリチュアルとは英語でSpiritualです。
Spirit-ualで「スピリットのような」となります。
「スピリット」という言葉に馴染みがないため意味が分かりづらいのです。
まず日本語で「スピリチュアル」という言葉は「精神性」という意味です。
また、「スピリット」は「魂・霊・心霊」です。
このスピリチュアルという言葉はスピリットから生まれました。
人間は『肉体』と『魂』(スピリット)に分かれます。
つまり、「人間には魂がある為、この魂である自分の精神性を向上させることが人生」
という考え方がスピリチュアルになります。
宗教とは?
宗教(しゅうきょう、英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり[1]、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである
教典などのまとまった教え(教義)があり、それを絶対的なものにして考えます。
中でも「信者」と呼ばれる程、妄信的に従う人がいます。
良くないのは、自分の信じる宗教が一番だと思ってしまったり、それ以外は間違っていると思ってしまうのです。
人間誰でも良いと思うものは、人に薦めたいということは分かりますが、
自分と同じ宗教を信じていないために人を差別的に捉える人も少なくありません。
極端になると、ニュースで見るような宗教が関わる事件が生まれ、宗教が怖いものと思われることも少なくありません。
しかしながら、自分の信じるモノ(宗教)があることでキツイ時に自分を信じることが出来たりと、
精神的に支えになることは壁を乗り越えるときに大事だと思います。
スピリチュアルと宗教が同じと捉えれる理由
宗教も色々ですが、誰か”カリスマ性のある教祖”がいて、その人の教えを学ぶという仕組みです。
例えば、キリストの教えを信じるので、「キリスト教」と捉える考え方です。
スピリチュアルでは聖典などのような教義がないですが、”カリスマ性のある人物”というのは実際にいます。
というのも【能力】を持った人物は、人の言っていないことや思っている思考を当てたり、
過去や未来を言い当てたりすることも出来たりします。
すると聞いた人は非現実的な事ですが、”奇跡”のように信じます。
同じ人間なのに崇拝したりと。ある意味、ファンのようなものでしょうか。
あくまでスピリチュアルと宗教は似ているという点で同じと捉える人もいるということです。
その原因として、私たちは何かに依存しすぎる性質があります。
つい私たちは頼れる何かを心の拠り所としたくなります。
心を休める程度なら良いのですが、バランスを崩し行き過ぎてしまうと、「依存」になります。
スピリチュアルな本の著者や、リーダー的な人が発信する言葉などは魅力的で、真実のように感じます。
Aは善である。Bは悪である。
Aは波動が高い。Bは波動が低い。
Aは高次元である。Bは低次元である。
宗教は一つの教典を基にしていますが、スピリチュアルは教典がない分、
自由度が高いので、宗教のように教祖になろうと思えばなれます。
付いてきてくれる人次第ですが。。
ただ、信者のように自分で物事を考えることなく、絶対的なルールだけに従うのであれば、
自己成長には繋がらず、あくまで一種の奴隷化とも捉えられます。
自分に自己をしっかり持ち、人から揺さぶられてもブレない自分。
押し寄せる変化に柔軟に対応できるように自己成長することが重要だと思います。
スピリチュアルは宗教とは違う決定的な理由
それぞれの宗教のルール
「教典・儀礼・絶対的なルール」などを持っているのが「宗教」
例えば、こんな感じですね。
・キリスト教:「キリスト」こそが神(他に神はいない)、カジュアル過ぎる服装はダメ
・イスラム教:「アッラーフ」こそが唯一絶対の神、女性は肌を見せてはダメ、豚肉禁止、飲酒禁止、断食の時期がある
・ヒンドゥー教:多神教(たくさんの神様)である。聖牛崇拝、菜食主義
・仏教:「釈迦」を開祖とする。女性には話しかけても触ってもダメ
このように、「宗教」にはルールとも呼べる教義があるのですが、「スピリチュアル」には存在していません。
スピリチュアルという文化はいつから誕生した?
元々は「ヒッピー」にという文化から始まっている様です。
ヒッピーとは、伝統・制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし、
また、文化以前の野生生活への回帰を提唱する人々の総称。
1960年代後半に、主にアメリカ(発祥地はサンフランシスコ)若者の間で生まれた新しい原始的かつ未来の人間性(ニューエイジ)を求めて地球上のパワースポットやフェスティバルを巡礼していた。
ヒッピーは、戦争を反対して「愛(love)」と「みんな仲良くしよう(human fellowship)と唱えた理想は当時の世界の表情を捉えていました。
それまでの社会の伝統などの規範から自分自身を解放し、自分で自分の道を選び、人生の新しい意味を見つけることを自主的かつ主体的に追及しました。
当時はベトナム戦争が起きており、自然を自国のために破壊して、若者を強制的に働かせていました。
これは正に人間の欲により起きたことで、「物質世界」とヒッピーは表現しました。
この当時は当たり前と言われて行われてきた常識と対立概念として生まれた言葉が「精神世界」。
いわゆる「スピリチュアル」です。
つまりスピリチュアルとは物質世界=「企業の利益や人間の欲求ばかり追求する文化」の対立軸として生まれた文化の1つです。
自然を大切にし、愛を持って自分の人生をしっかり選択して生きようとのが「精神世界」の根本にあります。
実際はオーガニックや地産地消を重視するロハスやエコの思想と一緒です。
近年では、企業もエコを意識していない理念だと経営も難しくなります。
エコ活動の一環をアピールしている会社を見ることも当たり前になってきていると思います。
オーガニックを扱う商品やお洒落なお店がたくさん増えてきてるのも、根本的にスピリチュアルの意識を継いでいると言えます。
まとめ
スピリチュアルは宗教ではなく、自然を大事にして愛情を持って、自分の人生しっかり選択して生きるという「精神性」です。
宗教のように教典はないですが、科学では証明できない不思議な能力がある人のカリスマ性に魅了されて、
ついていく人がいるという形から似ていると捉えられることがあります。
依存ではなく「自立」が求められます。
カリスマ性があろうとなかろうと、実際は自分の人生をしっかり選択してエコを意識して生き抜くことが大事です。