少し間が開きましたが、また更新していこうと思います。

 

今までに龍先生には何度かお世話になりましたが、

今回はその二回目の内容をまとめたいと思います。

 

 

前回の龍先生の①に引き続き補足していく内容から始めます。

 

 

思いやり

を持つ時の注意事項。

 

僕は優しいが、思いやりがない。

そのため性格を変えないといけない

 

ということでした。

その思いやりの注意事項とは

 

まず先に自分がありきということ。

自分が満たされていないのに、人に譲るというのは自己犠牲に過ぎないということです。

 

自分が満たされていなくて、人の為になんて考える余裕ありますでしょうか?

 

例えば、今月の支払いなどのお金がギリギリの時に、

誰かに何か奢ってあげたりしますか?

 

自分に必要な金額が残っていれば、問題ないでしょうが、

かわいそうだとか、なんとかしてあげないとなど

相手の立場を自分より優先して考えることは良くないということです。

それは自己犠牲である。

 

 

そして、思いやりがない人に思いやりを持つ必要はないということです。

 

嫌な人に我慢してまで、いい対応をする必要はないということ。

 

自己啓発本によくあるような

 

「許しましょう」

「感謝の気持ちを持ちましょう」

 

なんてのは余裕がある人の言葉です。

 

だって人間ですよ。

 

正直に思ったことを我慢するのは、溜め込んでしまい、

重要な問題になったりします。

 

 

ただ、仕事だったり金銭を貰っているのに、

好き勝手にするのは問題で違います。

 

 

それからイエス・ノーはハッキリと言うこと!!

その判断を間違うと双方にとって問題が起きます。

 

 

僕も経験上、これは難しかった部分です。

 

今までを振り返ってみると、学生時代はスポーツに明け暮れていました。

 

 

体育会系だったので、縦社会というのはどこにでもあると思いますが、

タチの悪い人に当たるとキツイですね。

 

 

僕も先輩が人使いが荒く、嫌とは言いづらい部分がありました。

40度の熱が出ていようがお構いなしに連れ出され、

断っても全くの無意味となっていました。

 

それも一度や二度ではなかったので、我慢を繰り返したことで、

怒りという感情がなくなりました。

 

どうやって怒ったらいいのか

 

とにかく自分を責め、我慢するだけでした。

 

 

当時のことを調べたら、軽い鬱状態に入っていました。

 

また、言う側も相手が受け入れたので、

そのぐらいであればまた大丈夫だと。

 

その境界をしっかりする為にも

イエス・ノーははっきりと言うことが大事だと思いました。

 

 

続いては自分をしっかり持つということです。

 

しっかり自分が持てていないときの感覚は、

例えば本を読んでいるときに、雑念が聞こえたり、入ったりで、

集中できない時が霊に取り付かれていることになります。

 

なので、集中力があるかないかだと判断がしやすいかと思います。

 

 

最後に、相談を受けたとして、同調してはダメということです。

 

言ってることは分かるけど、同調、理解はしてはいけないということです。

 

これは非常に分かりにくいと思いますが、

 

例えば、教師に相談した生徒がいて、(自分を教師とします。)

 

教師の立場で、生徒の相談に乗るのはいいが、

 

生徒のレベルまで落としてはいけないということです。

 

生徒・生徒ではダメということです。

 

相手のレベルまで落としてしまうと、

その影響をモロに受けていますからです。

 

確かに、僕は経験上、聞き役になることの方が多く、

相手の感情に僕も感情移入している所があるかと思い出しました。

 

難しい所ですが、徐々に自分を変えていこうと思います。