「ゴーゴーレッツゴー!レッツゴー!!〇〇!!!」

-レッツゴーコールは懐かしく 今も胸が熱くなる-

 

僕は中学・高校・大学まで陸上競技を続けた。

始めた動機はカケッコが得意で、小学生の頃に先輩から誘われたことがキッカケだったからだ。

勉強は苦手で頭に全然入らない。

すぐに忘れてしまう。

太陽を全身で浴びて、体を動かし汗を流す。

これがないと自分のリズムとして調子が整わず、どこか気持ちが悪くなってしまう感があった。

 

陸上競技を始めた頃に叔父さんから言われた一言がある。

「お金にならないよ」

僕は即座に答えた。

「お金のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいから自分の為にやるんだよ。」

 

今なら分かる。

叔父さんの生きた時代、頑張って家族の為に働いたお陰で今の世がある。

将来を見越してのアドバイスだったと思う。

「心からありがとう」

 

その時代があったお陰で物や情報は溢れ返るまでになった。

その上で機械化が進んでいるから、どんどん人の働く場がなくなっていく時代。

21世紀になるとこのように移り変わっていっている。

 

生まれてくる世代によって、常識は変わっていく。

僕は昭和生まれで平成、令和と変わっていった。

 

学校で教育されたのは、根性論。

日本全体としては「ゆとり世代」と呼ばれていた。

「個性を重視する」というが、

学校という枠で表現できる個性なんてものは、ほぼないに等しい。

 

頭髪検査はあり、制服着用。

結局判断されるのは、勉強かスポーツでの表現でしかない。

 

「個性」という言葉を言われて育ったのは良かったと思う。

社会人になり、様々な個性を発揮して世に出てくる人達がいる。

自分の長所をいかんなく発揮する才能・表現力は実に素晴らしくどんどん評価されて広まってほしいと思う。

 

それが出来る環境というのが、いわゆる「自分のやりたいことがやれる」という理想の社会だと思うからだ。

 

僕はやりたいことをやるという頑固な性格だ。

やりたいことができないとイライラしてとてもワガママだったと思う。

 

しかし、やりたいこと意外は本当に人並み以下でした。

そつなく出来ることも中にはあったが、大半が本当に出来なかった。

出来ないからこそ避けていたというのも本音である。

 

正直なところ、陸上競技にしか興味がもてなくて

「根性論」を学んだ学生時代だった。

40℃の熱があろうが、気合いで治す!

本当に一晩で治したという体験できたときは、我ながら驚いた。

 

その甲斐あって、高校生時代は3年間皆勤賞だった。

本当に歯を食いしばってでも、愚直に日々を送っていた。

クラスメイトはそのことを聞いて、

「どれだけ学校好きなん!?(笑)」

と言っていた。

好きかどうかではなく、「休むことが許されない」という価値観で過ごしていたので、同じ学校に通っていても意識で全く違うのだと思った。

 

高校時代のそのままの価値観でいけば、陸上自衛官などの環境があっていたのかもしれないとは思う。

もしくは一般の社会とも適応できたと思う。

 

しかし僕の魂はそのような生き方を望んでいなかった。

 

大学進学の際、本当は進学したくない気持ちでした。

進学を決めたのは、両親の愛情から、大学進学を薦めてくれたことがキッカケでした。

 

「価値観の合った友達ができる。」

「これまで休みなく頑張ってきたから遊んできたらいい。」

「学費の心配はしなくていいから。」

 

なんて贅沢なんだろう。。。

そういう声が聞こえてきそうですが、僕の心は受け入れられませんでした。

 

「友達なんて大学ではなくてもできるだろうし、今までの友達もいる。

それに遊びって何? 遊んできたらって・・・。」

「休みの日に友達と集まってゲームしたり、ご飯を食べに行ったりと十分遊んでいると思うが・・・。 これ以上どうしろと・・」

「さらには、お金だ・・。 ずっと我が家はお金がない・・と言われて育ってきた。 

弟には告げず、長男である僕だけが言われて育った。

だからこそ、言われ出した高校生からは、お小遣いなし、通学費の節約でチャリ通、お年玉も家に入れるようにしてと出来る限り、家計に協力してきた自負がある。」

 

これまでの言動はなんだったのか?

本当に受け入れられずに戸惑いを隠せない心情でした。

 

大学には進学したものの。

正直、やりたいことが分かりませんでした。

1ヶ月程、やりたいことを探しましたが結局は変わらず。

とりあえずバイト生活。という学生生活は何か物足りなさを感じたので止めました。

 

陸上競技の競技力は、お世辞にも速いとは言えませんでした。

しかし、高校の部活を引退して、自分でトレーニングしていると明らかに速くなったので、他にやりたいことも見つからないし、もう一度陸上をやろうと始めることにしました。

 

リレーや自己記録を更新したり、友達ができたのは本当に良かったです。

それまでに出会ってこなかったタイプの人がたくさんで驚いた。

 

・ワキの筋肉が発達しすぎて、「気をつけ」ができない投擲選手や

・鍛えすぎて本当に漫画であるような刃牙のような肉体を持つ選手。

・自宅の玄関に洗濯機があり、洗濯していたらネットにも入れていたにも関わらずユニフォームの下半身部分だけ盗まれていたいじられ役の友。

・リレーで頑張って走るもバトンを渡して力尽きると同時にこけた選手。

代償に両足の太腿裏を肉離れ、前にこけたときに乳首をこすったため、取れかけた驚いた。その後セロハンテープでくっつけていたら色は変わったものの異常はなく良かったが印象が大きかった。

 

あげればキリがないほど、みんな魅力がたくさんあって大学に行って良かったと思う。

 

 

改めて我が家の問題に戻りつつ社会人への話へと進みたい。

 

父が長年務めていた会社を辞めることになった。

 

転勤 or 退職 

 

いわゆるリストラが流行ったときの一人だった。

我が家は喧嘩が増え、よくお金のことで揉めていた。

 

父は不甲斐なさを怒り、母は黙って受け止めるも受け流しきれず、

僕に流れてくる。

 

このサイクルだ。

これは僕が高校生の時で、「陸上も辞めてバイトでもしようか。」

そう話したが、「子供に迷惑をかけたくない」と両親は止めた。

僕が陸上を続けることを応援することが生き甲斐だと言ってくれた。

 

言葉は嬉しいが、正直モヤモヤする。

いっそのこと頼ってもらった方が、こちらも気持ちがハッキリして助かるのだが。。

勝手にバイトをしたところで、すぐにバレてしまう。

本当にお金が必要と言われたら、すぐにでも働こうと思っていた。

 

それから父は頑張った。

もう職に困らないようにと介護の仕事で働くことに。

深夜のシフトも加わり、想像しているよりも大変のようで、

家では寝ているか勉強しているかの姿だけになっていった。

 

父の頑張りで家計は回るようになっていったようだ。

 

しかし、この姿を見ていると、とても大学進学なんて・・・

という気持ちにもなるが、

素直に両親の気持ちを受け取ることの方が親孝行だと思った。

お金は祖父や伯父さんからも協力してもらいなんとかなったようだ。

 

この経緯を含め、僕は雇われの身というのは会社側に決定権があり、

職種にもよるだろうが、いつまたリストラになる可能性もあるのは嫌だと思い、

会社を起こしたいと思った。

 

そのための資金を営業で稼いで実行しようと考えていた。

 

大学卒業後は、オール電化の訪問販売の会社に就職した。

ここで契約に決まるのは、初めから興味があるか、なんらかしら興味を持っている人に限られていた。

それ以外はもう話すら聞いてもらえないことが現実だった。

 

そのため、泥臭くも数をひたすらにこなした。

その甲斐あって、売上が全国で4番という成績も残せた。

 

おおかた仕事の流れも分かってきて、やりがいやしんどさを実感してきたくらいに父から連絡が。

フランチャイズの話が舞い込んできたとのこと。

 

親子でするのであれば審査が通り、長く出来るので一緒にやらないかということだった。

初めは断ったが、二度目の誘いには受けることにした。

 

それから営業の会社を辞めて実家へ帰省。

しかし、すぐにフランチャイズを始めることは出来ず、準備に時間がかかるそうだった。

その為、しばらくはアルバイトをして過ごすことにした。

アルバイトは期間限定の仕事があることを初めて知った。

世間知らずな自分だったが、働くということは世の中を知ることになる。

 

あくまで学校で身に付けるのは勉強、友情、恋愛。

 

やはり働くことで社会人としての常識を身に付けて行くもののようだ。

 

先輩達は言っていた。

「学生がいいよ〜」

体感できたと思った。

 

アルバイトは期間限定のものがあるのはコールセンター系が多いようだ。

選んだのは、エコポイントについてと受信業務。

 

ここには、同世代もいたが、主婦層が多かった。

営業の会社よりはるかに緩く感じた。

 

今だからこそ振り返ると年齢的に甘く接してもらっていたのだと思う。

 

8時間勤務だが、あまり電話がならない部署に割り当てられた。

あまりというか、一本も電話がないまま業務が終わることもあった。

さらに言えば、内容は対応できない部署なので掛け直してもらうということだけだった。

正直なくてもいい部署だと思うが、今だに謎のままだ。

ここでの仕事をしているときに、健康食品のMLMの話が来た。

直感的にめんどくさいことになることは分かっていたが、何事も体験だと思い飛び込んだ。

 

次はNHKの受信料のコールセンターだ。

研修を受けるも全然頭に入らず寝てしまう。

なんで周りのみんなは理解出来ているのか謎だった。

社会人として生きていくうちに自然と身に付けるもののようだ。

周りの人に助けてもらいながら業務はなんとかなった。

 

MLMをやっていることが知れ渡ると、明らかに嫌悪感を向けてくる人間がいた。

その人と何か交流を持ったわけでもなく。

MLM自体の印象が悪いようだ。

仕組みは純粋に考えると思ったが、そこまでのプロセスの印象が悪いのかと思った。

「金持ち父さん、貧乏父さん」で有名のロバート・キヨサキも薦めていた仕組み。

ベーシックインカムにも変わり、貧困層を無くすための仕組みとしていいかとは思っていた。

しかし、仕組みを構築するまでに人の気持ちを考えない人間があまりにいたようで、印象が悪いものなのだと実感した。

 

内容がどうであれ、あくまで「人」が大事なのだ。

直接のコミュニケーション。

ネット経由でのコミュニケーション。

必ず人とやりとりをしていることを深く考える必要があると思った。

 

このような生活を送りながら相方と出会うようになります。

 

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