『愛』についてどう思いますか?

 

wikiではこのように書かれています。

辞典での解釈

  • 親兄弟のいつくしみあう心。ひろく、人間生物への思いやり[1]
  • 男女間の愛情。恋愛[1]
  • 大切にすること。かわいがること。めでること[1]
  • キリスト教〕 神が、全ての人間をあまねく限りなく いつくしんでいること。アガペー[1]
  • 仏教〕 渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。「十二因縁」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られる[1]

対象

  • 自己愛
  • 家族愛
  • 親子間の愛
  • 性と愛
  • 恋と愛

参照:Wikipedia

 

『統合』という言葉が流行っていますが、本質は波動を軽くして魂の状態に進むことを意味しています。

 

魂は愛の存在と言えます。

 

『愛』という概念に向き合うことが必要不可欠なのかと思います。

 

率直に思うのが、一般的に出回っている「愛」という意味が、とても浅く感じます。

本来の『愛』というのは、もっと深い意味があるのかと思います。

 

というのも、どうして対象を大切に愛しく思うことが前提であるのでしょうか?

大切に思わなくても、愛しく思わなくても『愛』があるのではないでしょうか?

 

”命”とは、物凄い確率の中から生まれてきています。

一人一人が、一つ一つの生命が存在しているだけで価値があると思います。

 

その ”命” に差はなく、存在しているだけで大切だと思います。

あまりにも数が増え過ぎたので、一つ一つの命の大切さを忘れてしまったのでしょうか?

 

 

どう思いますか?

 

人は、親や他人から受けた優しさを、”愛”として受け取ります。

他者から受けた ”愛” を愛し方として学び、他者へと気持ちを伝えます。

 

人によって愛し方が違うのも無理はありません。

受けた “愛” が違うので、学んでいない方法では伝えられないという限定的な “愛” しか知らないと言えます。

 

”愛”が不自由に感じます。

 

そして男女間の愛も「好き」という感情の延長でしかないのでしょうか?

好きではなくなったから『”愛”していない』というのは、なんて浅いのだろう。

もっと深く意味のあるものだと感じます。

 

 

他者から何か受けなくても、波動から分かります。

存在しているだけで伝わります。

 

 

どのように日常を感じているのか?

何を学んでいるのか?

 

 

私達は分かりやすく、言葉や身振り手振り、作品などを通して伝えます。

当然、その行動には ”愛” は詰まっています。

 

中でも人は理解できない行動を取ることもあります。

ですが、自己愛がありますので、少なくともその人自身にとっては愛が存在しています。

 

理解できないからといって、ぶつかり合うことがありますが、自身の愛が確立されていれば気にもならないかと思います。

 

自分だけで満たされる、時に周りの人からも満たされる。

愛について深く考えると、ソース(源)との距離が縮まります。

 

この世は存在しているだけで全ての事象が ”愛” によるもの。

とにかく深く、決して限定的で不自由な浅いモノではありません。

 

無償の愛という言葉もありますが、そう言えない感情に襲われている時もあります。

 

ですが、体験しないといけない感情を乗り越えるまでは、”愛”と向き合うことが難しいのかもしれません。

 

「そう悠長なことを言っていられない」という瞬間もあります。

 

闇に負けない強さを持った光だからこそ、気付ける領域があります。

感覚的なことなので、言語化して伝えることが難しいですが、

それぞれのタイミングやレベルに達していることで、必要な情報(波動)として受け取ることができます。

 

必要な方に届きます様に。