大人になって発達障害だと知る人は多い。
僕もその一人だ。
周りからの指摘で気付く。
確かに、思い返すと幼少時代にあったことも前兆だったんだ…と思うことがある。
間違いなく、周りの人に迷惑はかける。
本人の意識で軽減できるが、少なからず迷惑をかけることになる。
しかし、迷惑をかけない人間がいるだろうか?
全てを完璧にこなせる人はいるのだろうか?
どうしてこのように生まれたのか。
原因を考えてみると、本質が分かってきた気がした。
今回はどうして「人の気持ちが分からない」素質があるのかについて書いていこうと思う。
目次
発達障害の気持ち
「人の気持ちが分からない」
- コミュニケーションがうまくとれない
- 気が利かない・意図を理解できない
- 人が嫌がることでも無神経のように行う
だから、家庭、学校、社会とそれぞれの環境で問題が起こる。
共通してる大きな原因は、【想像力の乏しさ】だ。
2つのパターンに分けられる。
本当に「人の気持ちに気付いていない」場合
気付いていないので、言われるまで気付かない。
中には言われても分からないこともある。
その上、された側の気持ちが分からないまま、問題を行ってしまうケースもある。
(例:暴力、無神経な発言や行動など)
本当は「人の気持ちに気付いている」場合
実は、理解していることもある。
その場合は、自分の考えをうまく言語化などして伝えられないことが原因だ。
適切な言葉が分からないのだ。
そのため、結果的に「何が言いたいのか伝わらない」となってしまう。
人の気持ちを理解するための対策
『相手の立場を体感させる』
体感して初めて、人の気持ちが分かるのだ。
人間ということは同じで、神経に異常がない限りは痛みなど理解できる。
言葉には言葉を
暴力には暴力を
同じことをされないと、イメージできないので体感するしかないのだ。
もしくは、『自分がされてみてはどうだろうか?』
という視点を切り返してみる。
瞬時にこの考えに及んでいないことがある。
改めて問われて気付くこともある。
これは精神性の未熟があるが、好きなことばかりに熱中する傾向にある発達障害には、『自分中心』になり過ぎる面がある。
どうしても他者を気に掛けるという視点を忘れがちになってしまう。
仕事はする。
当然だ。
しかし、それ以外の時間は、好きなことだけに没頭する日々を送っている人は注意が必要だろう。
そして、これが出来ないという場合もあるだろう。
男女で力の差があったり、そこまで構っていられないという場合もある。
この場合は、もう一緒にいることはできなくなる。
発達障害の人は、特に社会に出たら転職を繰り返して学んでいく。
家庭や学生時代は、周囲のサポートで守られていたり、そもそも気付いていないことがある。
社会は、そんな暇はない。
少しでも成果を上げようと求められる中、悠長に構っていられない。
本人が気付くしかないのだ。
これをどのタイミングで理解できるのかは、その人次第になる。
パートナーが根気強く向き合ってくれるのか。
両親や、知人が教えてくれるのか。
その人の人望によるものが大きいだろう。
発達障害の生き方
発達障害の人がどのように生きたいかで選択肢は変わってくる。
たった一人でよければ、それでもいいと思う。
誰も傷つけないように、一人で生きていく。
職場も自分に合う職場になるまで、転職を繰り返しても生きてはいける。
誰かと一緒にいたい。
という時には、本人の努力が必要不可欠だ。
甘えは捨てて頑張るしかない。
特に一緒に住む人の気持ちを理解することが絶対条件だ
人の気持ちを理解しないことで気付けること
ここがこの記事で一番伝えたいことになる。
発達障害の人は、感覚がアンバランスに発達し過ぎていることが、そもそもの原因だ。
視覚、聴覚、嗅覚とフル活動の感覚は、消耗が激しく疲労する。
発達し過ぎているから過敏で、人よりも疲れやすくなる。
そして良くも悪くも『好きなことはマニアックになる程だが、興味がなければ全くやろうとさえしない。』
究極のワガママと受け取れるほどの性質だ。
これは、健常者とは想像力の差、発達障害の度合いにとっては、学習能力に差が出る。
積み重ねることによって違いが明らかになる。
発達障害の人は、
「好きなことを積み重ねた超一流」になれるか「全くの何者にもなれない」
かに別れる。
健常者は、周囲に合わせることができるので、オールマイティな存在となる。
つまりは、環境適応能力に圧倒的に差が出る。
発達障害の人は、「できる」と「できない」がハッキリとしているので、
『自分の居場所』
を見つけることが出来れば、自分らしい生き方で人生を生きることが出来ると言える。
しかし、見つけられなければ苦労が人一倍かかるのは容易に考えられる。
発達障害の人数・割合
グレーゾーンに位置する発達障害の一種であるアスペルガー症候群の人は、
文部科学省発表の数字からの推計や『ガイドブックアスペルガー症候群 親と専門家のために』(トニー・アトウッド著、東京書籍1999年)によると、
日本人の40〜50人に1人くらいとされている。
日本全体でも約300万もの人が症状に苦しんでいることになる。
しかし、脳内科医の加藤俊徳先生は言う。
一般的には20人に1人は発達障害の一種AD/HDであるという。
この計算だと、約630万人もの人ということになる。
現在2019年までの間に、2倍以上、発覚していなかった人達が、自覚して出てきている現状がある。
遺伝で7割という確率なのでもっと増えていくだろう。
少子化も相まって定型の人が少なくなってきていると考えられる。
これだけの人数が「自分の居場所を見つけられない」となれば大問題だ。
助け合える関係で会社に務めることができればいいと思うが、そうではないときは、お互いのためにキッパリと辞めることが必要だと思う。
苦しい環境に無理している必要はない。
人の気持ちが理解できないというのは、理解し合える人間関係を見つける基準として大いに役立つと思う。
本当に合う関係が、その人に必要なことだからだ。
転職を繰り返したとしても、探しつつ、気付くという過程をどんどん歩む必要があると思う。
日本は発達障害大国
世界的に見ても、日本が特に多いと言われる由縁があると思う。
日本人の性質として、国家レベルで空気を読むことを国民に求める風潮があり、人々は互いに完璧を求めすぎているように思う。
これは、ハッキリ物事を言わないことに原因があるのではと思う。
Yes、Noをハッキリ告げずに誤魔化す風潮がいけない。
物事をハッキリ言うことで、お互いに意思疎通が円滑になり、
本当に理解したのかな?などというモヤモヤは無くなる。
濁っていないクリアな関係だ。
その上で、周りがしているからいい。
などと、自分のことなのに、自分の意思を無くして、周りに合わせる?
周囲に合わせるだけの「言いなり人間」がたくさんいる。
もうこのような生き方が求められている時代は終わる。
自分の意見をハッキリと述べることができる人材が必要不可欠だ。
これは発達障害の人が生きながら証明している。
次第に定型の人も羨む人もいるのではないだろうか?
自分も好きなようにしたい。
しかし、周りが。環境が。
言い訳ばかり。
自分の生きる場所は不器用でも、周りに嫌われてでも合っている場所を見つける。
綺麗事ではない。
痛みに勝る覚悟を持って生きる必要がある。
『自分の人生』
周りに合わせてて実現できるのだろうか?
会社のため?
会社も人材が欲しければ、パワハラなど論外。
いつまで「いくらでも代わりがいる」と言えるのだろうか?
合併してでないと生き残っていく道がなくなっていく。
これだけの人数がいて、今後もどんどん増えていく。
企業も人材を確保することが難しくなる。
一人一人が自立して、自分の居場所を確立していく中、
会社に務めるという生き方を選ぶ人が少なくなるだろう。
社会も発達障害に合わせての支援も増えてきている。
変化を実現させてきている。
上から押し付けるだけの方法ではいずれ回らなくなる。
これは、自立する意識を一人一人が持つことで、皆が生きやすい世の中にするスタートになる。
発達障害の人は、悪く言われてきたが、次第に反対になっていくと思う。
堂々と自分と合う人を見つけ、自分に合うことをすればいいと思う。
しかし、他人を思う心を養うためにも、苦手なことには取組み、人の痛みを知る方がより生きやすい環境を作れるだろう。
まとめ
「人の気持ちが分からない」
というのは、あくまで協力してくれる人、社会を見つける基準になる。
自分に合った居場所を見つける為にだ。
しかし、好きなことだけでなく苦手なこともやって、ストレス耐性を身に付けておくことで、適応能力を磨くことも重要だ。
常の意識としては、相手の立場に立って考えるという視点を心掛けるといい。
こうすることで自分の居場所はいずれ作れるか見つかるようになる。
自立心のキッカケとしてポジティブに捉えることが重要だと思う。